コラム

江戸の味を今に伝える「弁天山美家古寿司」受け継がれる技と文化のかたち

2026.09.10

目次

江戸の町では、屋台や行商などを通じて、多様な食文化が発展しました。社会の変化とともに江戸時代後期に生まれた「すし」も、そのひとつです。現代とは異なるかたちで、人々の暮らしを支え、親しまれていた江戸のすし。

本記事では、その流れを今に伝える「弁天山美家古寿司(べんてんやまみやこすし)」の5代目・内田正(うちだ・ただし)さんを訪ね、江戸の食文化に触れながら、受け継がれる味と技、そして食に込められた知恵をひも解きます。

江戸の町に広がったファストフード

現代において、日本食を代表する立ち位置を確立しているすしのルーツは、実は日本にはありません。始まりは紀元前3世紀頃、東南アジアの山岳民族の保存食として編み出された「なれずし」だったと言われています。当初は、今のようにご飯に鮮魚を合わせて食べるのではなく、「淡水魚の漬物」のような形をしていました。日本では、滋賀県の「ふなずし」や奈良県吉野地方の「鮎のなれ寿司」が、今もその伝統を受け継ぐ形で残されています。魚を塩漬けにして保存することで自然発酵させ、酸っぱくなったのを食べる。「一切れ食べて元気になって、また旅に出よう」というのが発端で、今のような会話や味、ビジュアルなどを楽しむ食事スタイルとは異なり、手軽に栄養を補給するために食べられていたのも特徴です。

お話を伺った弁天山美家古寿司の5代目、内田正さん。すし職人として店頭に立つ一方で、ライフワークとしてすしの研究を進め「これが江戸前寿司だ」(筑摩書房)などの著書を持つ人物

「塩とご飯と魚を合わせて熟成し、食べるときにはご飯を取り除いて魚だけを食べるのが初期のすしだったと言われています。それではもったいないということで、関西の方で鯖寿司が作られるようになり、その頃から塩と魚とご飯を一緒に食べるようになっていきました。ただ、いずれの場合も『熟成』をさせる必要がありますから、当初のすしは、今のようにすぐ食べられるものではなく、手間と時間がかかる保存食としての側面が強かったようです」

その後、各地で少しずつ形を変えながら文化が広がっていき、東京で現代の形に近いすしが売られるようになったのは1826年のこと。現在の墨田区両国にいた華屋与兵衛(はなや・よへえ)という人物がきっかけです。

「1800年代は、すしだけでなく、蕎麦や天ぷら、佃煮、うなぎなどが江戸の食文化として生まれ、広がっていったタイミングです。天ぷらは屋台が発祥ですが、すしも気軽な屋台の食べ物として生まれています。屋台の前にはのれんが掛けられていて、食べ終わった人がそののれんの端をつまむので、『のれんが汚い店は、すしが美味しい繁盛店だ』なんて言われていたようです」

歌川広重/画「東都名所 高輪二十六夜待遊興之図」(江戸東京博物館)出典:Tokyo Museum Collection

冷蔵庫のない江戸時代、すぐに鮮度を失ってしまう魚は、酢飯と一緒に箱に詰め「箱寿司」として食べられることが一般的でした。今のように生の魚を握ることが難しいなか、与兵衛は、ご飯と小肌を一緒に握り、わさびを加えた「握り寿司」を生み出しました。

「今も残る技術として、魚を保存することと美味しくすることの2つを目的にした『仕事』というのが、江戸前ずしの何よりの特徴です。仕事とは、魚に対する下ごしらえを指す言葉ですが、これをはじめたのが与兵衛です」

また、魚への仕事と合わせて重要なのが、ご飯と合わせる醸造酢です。酢を作っていたのは、現在の愛知県半田や知多半島。江戸時代には多くの酒造メーカーがあり、日本酒の生産が盛んな地域でした。

「日本酒の醸造にあたって、酒粕がたくさんできるんですね。それをそのまま廃棄してしまうのはもったいない、ということで、酒粕を二次発酵して初めて『醸造酢』が作られたようです。粕酢は、それまでの米酢と比べてまろやかでコクがあり、砂糖を多く使わずとも美味しいシャリが作れると重宝されました」

海運を通じて江戸へ大量に運ばれるようになった醸造酢は、江戸のすし文化の発展に大きく寄与している。歌川広重「寿司の図」/出典:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)

当時のネタは、小肌や穴子、玉子など。「すしを食べる」とは言わず「すしをつまむ」と言う表現をしていたのも特徴的です。

「現代のファストフードのような存在ですね。1貫の大きさは今の三倍ほどあり、小腹が空いてお茶をするときに『すしを2つ、3つつまんで行こうか』なんて言われ方をしていたようです。その後、すしが食事として定着したのは戦後のこと。すし屋の数も増え、鮮魚の価格が上がるとともに高級化して、今のようなスタイルへと変化していきました」

華屋与兵衛の技を継ぐ、弁天山美家古寿司

内田さんが受け継ぐ弁天山美家古寿司は、江戸前寿司の始祖・華屋与兵衛の流れをくむ「千住みやこ寿司」で修行をした初代 金七(きんしち)が、1866年(慶応2年)に開店した店です。「金龍山 浅草寺(きんりゅうざん せんそうじ)」の鐘楼、弁財天を祀る「弁天堂」が建つ小高い丘(弁天山)の下にできたことから「弁天山」の名がつけられました。

創業当時の面影を残す、大正から昭和初期頃の店舗写真

「開店から昭和16年までは、店の規模が今の三倍くらいあり、カウンターではなくテーブル席でお客様をお迎えしていました。店の入り口は今の裏口側にあって、浅草寺の境内に面して、お参りにくる方がお茶をする店として栄えていたようです」

現在の美家古寿司 外観
店の職人がカウンターですしを握るスタイルは、現代になって確立されてきたもの

内田さんが考える「すし」とは、美味しい酢飯と新鮮なわさび、仕事を施したすしネタ、その上に乗せるにきり醤油の4つのバランスによってできるもの。すべてのネタに下ごしらえがされ、カウンターではわさびを擦りおろすところから握りがはじまります。

握る直前に擦りおろされるわさび。口に入れた瞬間、爽やかな香りとツンッとした刺激を感じる

「美家古寿司のすしは、江戸前寿司の考え方をもとに5代に渡って考えられ、確立してきたものだと思います。例えばすしのネタは、さっぱりしたものから脂の乗ったものを食べた方が食べやすい。うちでは、平目や真鯛などのさっぱりしたネタを最初にお出しして、徐々に味の濃いものを召し上がっていただくようにお勧めしています。脂が乗ったまぐろも、うちでは最後に出すようにしています」

5貫ずつ、全部で10貫のすしを楽しめる「浅茅(あさじ)コース」。独自に受け継がれてきたにきり醤油をハケで乗せ、お客様には醤油を付けずにそのまま食べてもらうのが昔からの慣わし

「現代のすしというのは、酢飯の上に新鮮なネタが乗っているでしょう。私たちが守ってきた江戸のすしを思うと、今のすしは、技術や環境の変化によって進化した存在とも言えます。例えば『生寿司(なまずし)』というような、新しい名前があって良いもののように感じていますね」

冷蔵庫が登場し、運送のハードルが下がって多くの新鮮な魚が手に入るようになった今。一見便利になっているように見えて、内田さんたちが守り続ける江戸のすしにはどのような影響があるのでしょうか。

「便利になった反面、大変なことは、良いネタを仕入れることです。気候変動など自然環境の変化によって、獲れる魚が変わってきているんですね。一部の貝は、昔に比べて味が大きく変わってしまい、すしのネタとしてはもう使えないものもあります。受け継いできた技が生きる素材を選び、使い続けていくことも、私たちの大切な役目かもしれません」

受け継がれる「江戸前寿司」の技術と味へのこだわり

最後に、江戸前寿司最大の特徴ともいえる仕事(下ごしらえ)について紹介します。保存と美味しさを追求して生まれた仕事には、ツメ、ヅケ、酢〆、昆布〆など、多くの古典的技法があります。仕事をするための道具は、主に柳刃(やなぎば)包丁一本。受け継がれてきた技が光ります。

浅茅で出される最初の5貫。後列左から平目、小肌、真鯛。前列左から赤貝と北寄貝(ほっきがい)

小肌:江戸のすしのルーツに当たるネタ。すし屋にとっては一番大事な仕事をした一品。丁寧に裂いた身を軽く塩にあてて酢で洗い、さらに酢に漬ける。頃合いを見て取り出し、2日間ほど寝かせて完成する。

後半の5貫。後列左から才巻(さいまき)海老、漬けまぐろ。前列左から穴子、玉子、煮いか。「ゲタ」と呼ばれる器にはヒノキなどが用いられ、かつては欄間など作る際の端切れを使って作られていたそう

才巻海老:串に刺した海老を塩茹でし、氷水で冷やして身を割いてから甘酢に漬け込む。握るときに、ネタとシャリの間に手作りの「オボロ」を挟むのが特徴。芝海老のすり身を潰して砂糖や酒などで甘く炒り上げ、着色料を使用せずに自然の色のままを活かしているのが美家古寿司のこだわり。

漬けまぐろ:朝市で新鮮なネタを仕入れ、表裏に湯引きをしてにきり醤油に漬け込む。江戸時代、あまり新鮮でなかったまぐろの赤身を短冊形に切り分け、醤油に漬け込んで食べていたことから「醤油漬け」が転じて「づけ」という技法が生まれている。

穴子:色を白く煮上げる「爽煮(さわに)」という手法が美家古寿司ならではの技。小骨の少ない小さな穴子を使い、酒と砂糖、淡口醤油を使って仕上げる。

江戸の町人文化として育まれた日本の食・すしは、単に美味しいだけでなく、当時の暮らしを今に伝える大切な文化です。限られた保存技術のなかで生まれた工夫や、素材を生かす知恵、美しく食べる粋の精神は、きっと今も日本人のDNAに深く刻まれているのでしょう。弁天山美家古寿司が受け継ぐ味と技、美しい仕事や所作を通じ、ぜひその一端を感じてみては。

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