コラム

文化財はなぜ残す?未来へつなぐまちの記憶とは・後編

2026.07.16

目次

文化財はなぜ残す?未来へつなぐまちの記憶とは・後編

寺社仏閣や武家屋敷、橋、庭園や仏像、古文書。東京のまちに点在する文化財は、単なる「古いもの」ではありません。そこには、土地の歴史や人々の暮らし、時代ごとの価値観が折り重なり、今を生きる私たちに“まちの記憶”を伝えています。

変化と更新を繰り返す都市のなかで、私たちはなぜ文化財を守り、残し、後世へとつなぎ続けるのでしょうか。

本記事は2部構成。後編では、東京都教育庁 地域教育支援部の皆さんが関わる大プロジェクト、増上寺の三解脱門(さんげだつもん)の修理現場に伺います。2032年まで続く予定の大修理の舞台裏。関係各所への取材から、文化財を残し、まちをつないでいくプロフェッショナルたちのリアルを紹介します。

「公共」の事業として、潤滑油となり文化財を修理する

現地に同行してくださったのは、東京都 教育庁で働く学芸員の原眞麻子(はら・ままこ)さん。文化財調査の担当者でもあります。

取り外された金具を確認する原さん。「プロジェクトが軌道に乗ったところ」という増上寺も、月に一度は足を運び進捗を確認する

原さん「私が所属している課では、都内の文化財修理、防災、人材育成、伝承基盤整備など、文化財保存に関する事業を最近は年間120件ほど動かしています。仏像やその台座など比較的定まった工程で修復が完了するものから、今回の増上寺三解脱門のように長期間かけて多くの人が関わる大規模プロジェクトまであり、職員が手分けをして、それぞれの進捗状況を管理しています。」

施主や施工者、技術者も設計者も、現場ごとに一緒に働く人が変わる仕事です。多くの人の想いが交わる文化財の修理・保存において、原さんは、自らの役割を「プロジェクトを推進するための潤滑油のような存在だ」と話します。

原さん「専門的な知識を持った人が多く集まるからこそ、私たちは、現場やその周りにいるそれぞれの人の声にきちんと耳を傾ける必要があります。修理の必要性や費用の根拠、公金を用いて行う公共事業として文化財を守る意味など、一つひとつを言葉で説明できるよう紐解く役割とも言えるかもしれません」

「素屋根」と呼ばれる鉄骨造りの覆屋(おおいや)に囲われ、解体工事を中心とした第1期工事が進行する三解脱門。一部公金を使って行われる工事のため、各種法令に則る必要があり、原さんたちが間に入り調整を行う

原さん「工事が始まってからも、進捗状況を確認しながら関係者とコミュニケーションを図ります。法令的に問題がないか、方針にブレがないか、資金繰りや工期に影響する変更やトラブルはないか。第1期工事が開始されるまでには、さまざまな調整がありました。」

例えば今、門を覆っている仮設の足場も、そうした調整を経て設置されたものです。

原さん「仮設とはいえ、修理期間として想定している10年間の間に何かがあっては困りますから、きちんと設計をして建造物として安全性や保存性、耐久性を確保しています。ただ、施工業者が決まってから、その会社が持っている資材や技術によって、現場対応として設計や施工方法を見直すこともよくあります。さらに足場だけでなく、門の中に保管されている仏像などの移動方法や、門を傷つけずに必要な資材を運ぶ方法も検討が必要です。」

どれだけ計画を立てても、不測の事態や予定通りにいかないことが多い文化財修理の現場において、一番困るのは「全体が動かなくなる」ことです。例えば過去の工事では、アスベストが使用されているのが見つかって処理が必要になり、工期と予算が大きく変更になったことがありました。

「工期や予算の変更は、1箇所の現場だけの問題ではなく、進行している他の現場に影響を及ぼすこともあります。各現場で見つかりそうな不具合をきちんと把握・調査して進行を整える。全ての文化財が文化財として残されていくための土台づくりをしています。」

「増上寺」と「三解脱門(さんげだつもん)」の歴史

さて、今回のプロジェクトの舞台「増上寺」についても紹介をしていきましょう。説明をしてくださったのは、第1期工事を担う清水建設株式会社の工事長 沼田穣(ぬまた・ゆたか)さんです。

沼田さん「増上寺は浄土宗の七大本山の一つであり、もとは現在の千代田区平河町あたりに、『浄土宗正統根本念仏道場』として1393年(明徳4年)に創建された歴史があります。江戸時代になる直前、1598年(慶長3年)に今の場所に移り、広大な寺有地に120以上の堂宇*1や100軒以上の学寮が並ぶ、とても大きなお寺でした。移転については、現在の増上寺がある場所が江戸城から見てちょうど裏鬼門の方角にあたるため、徳川家康公から『江戸の裏鬼門を守るように』命じられた、との逸話も残っています。」

*1 堂宇:仏教寺院における「お堂」や「殿堂」、また僧侶の修行施設などの建物全般を指す

出典:国土地理院ウェブサイト 地理院地図を加工して作成

安土桃山時代(1590年、天正18年)に徳川家の菩提寺に選ばれていた増上寺は、江戸幕府の成立後、家康公の手厚い保護を受けて大隆盛へと向かっていきました。現在も、浄土宗においては、京都府にある総本山「知恩院(ちおんいん)」と東京都にある大本山「増上寺」が、宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)の教えを広める伝道の中心的な役割を担っています。

沼田さん「増上寺さんは昔から教学の殿堂として、僧侶を目指す若者が各地から集まってくるような場所だったと聞いています。特に江戸時代は常時3,000人もの修行僧がいたとのことです。今回修理をしている三解脱門も、その頃に建てられた建物で、同時期から残る経蔵(きょうぞう)*1や三大蔵経(さんだいぞうきょう)*2などと共に増上寺さんの歴史を紡ぐ大事な遺産だと考えています。」

*1 経蔵(きょうぞう):経典を収蔵、保管するための建物
*2 三大蔵経(さんだいぞうきょう):徳川家康が寄進した3種類の仏教経典総集の総称。12,000点以上がほぼ完全な状態で残る木版印刷物で、2025年にユネスコ「世界の記憶」に国際登録された

年間100万人の参拝客が訪れる増上寺

国の重要文化財に指定される「三解脱門」の名は、煩悩から解脱*1した覚りの境地を開くための三種の修行、「空門」「無相門」「無願門」からなる「三解脱門」に基づいています。増上寺の中門にあたり、境内では唯一の江戸時代の面影を残す建物であり、東京都内でも有数の木造建築の一つと言われています。

*1 解脱:煩悩の縛りや苦しみから解かれ、自由で安らかな悟りの境地に達すること

沼田さん「私たち清水建設としては、会社の前身となる『清水組』が大正時代に建てられた旧大殿(1945年の東京大空襲で焼失)の造営に関わっていたことと、昭和48年の三解脱門の修理に関わっていたことがわかっており、社内にアーカイブを残しています。古い記録にいくつか修理の状況を記したものが残されていて、そうした過去の職人たちの工夫も知りながら、一つひとつ確認をして工事の計画を進めています。」

屋根は日本古来の伝統的な形式「入母屋(いりもや)造り」で、本瓦葺が特徴です。全体が朱漆で塗られた二階建ての構造で、高さは約21m。楼上には「釈迦三尊像(しゃかさんぞんぞう)」や「十六羅漢像(じゅうろくらかんぞう)」、歴代上人像(れきだいしょうにんぞう)*2などが安置されています。

*2 歴代上人像(れきだいしょうにんぞう):寺院において、開山から現在に至るまで代々寺を継承してきた上人たちの像

三解脱門の工事前の姿(画像:増上寺所蔵)

前回の本格修理からおよそ50年が経ち、各所に劣化や破損が生じてきたという三解脱門。今回の修理では、屋根を支える小屋組や屋根下地、軒廻りの傷んだ部材を更新する「木工事」と、瓦、土居葺き*3の葺き直しを行う「屋根工事」、劣化や褪色が進む漆の塗替を行う「塗装工事」を中心に計画が進められています。

*3 土居葺き:昔ながらの防水用木材

建物・技術・人から見る修理の現場

工事の全体像をお伺いしたところで、次は設計や調査を担当している公益財団法人文化財建造物保存技術協会の遠藤優(えんどう・ゆう)さん、沼田さん、原さんと一緒に覆屋の中を見学します。建物、技術、人の3つの視点から、現場をご紹介します

公益財団法人文化財建造物保存技術協会は、重要文化財建造物の保存修理のための設計や施工監理を行う組織。文化財保護法に基づき、文化財の保存に欠くことのできない技術として国が選定する「選定保存技術」の保存団体として認定されている。遠藤さんも、これまで多くの伝統建築の設計に携わってきた

【建物】から見る修理の現場

修理の現場で繰り返し語られるのは、前編の記事でも登場した「できるだけ残す」という姿勢です。解体工事においても、使われている部材が闇雲に取り替えられることを防ぐため、一つひとつの位置や状態を確認し、印をつけながら慎重に解体が進められます。

側面に貼られていた銅板。状態が良いため修理後も継続して使われる予定である

遠藤さん「文化財においては、建物を構成する部材そのものが歴史の記録であり価値として扱われます。文化財を残し伝えていくという意味では、例え同じ建物の中であっても、私たちが勝手に違う場所に部材を使用したり取り替えたり、ということはできません。」

釘の位置に印をつける作業員。穴の形状から年代がわかることもあり、それ自体が貴重な資料にもなる

解体された屋根や瓦、木材には、江戸時代以降、明治、大正、昭和と、異なる時代の修理の痕跡が混在しています。本来は「消耗品」として葺き替えや交換を前提に扱われる屋根材も、雨が当たりにくい場所には、まだ江戸時代からの部材が残ります。

遠藤さん「過去の修理に携わった職人たちも『使えるものは使い続けたい』という意思を持っていたのでしょう。今回の修理でも、状態の良い古材や古瓦は可能な限り再利用をする予定で、新材はそれらの数が確定したあとで補完的に発注をかけます。」

検査の結果、歪みや傷みが見つかって屋根を下されることになった瓦たち。枚数を確認し、交換が必要な分だけ新たな瓦が発注・生産される

一方で、古いものを使う際には安全性の確保が絶対条件です。「門」という参拝者の動線上にある建物である以上、「使えるから残す」だけではなく、どの部材をどのように使用・補強するのかは、学術的根拠や現在の安全基準に基づき、関係者の合議によって決められます。

瓦を安全かつ、なるべく建てられた当時の工法・姿で使用できるように模型を作って検討を行う

遠藤さん「例えば欠けてしまった鬼瓦の修理に使われている素材は、今となってはなんなのか分析が難しいものもありますが、かなり頑丈で良い素材が使われています。これならば今回の修理以降も使い続けられる、という判断ができたため、交換をせずに使用することが決まりました。」

角や牙など凹凸のある部分はどうしても傷みが出やすくなる。「欠けてしまったから使わない」でも「単にくっつければ使える」でもない難しさがある

【技術】から見る修理の現場

三解脱門の修理には、伝統的な技術と現代的な技術の両方が用いられています。全体を覆う漆工事では、塗っては研ぎ、また塗るという工程が何十回も繰り返されて、美しい朱色の平面が完成します。

遠藤さん「全面の塗り直しとなるとそれだけで費用が跳ね上がりますから、単に『きれい』にすることを目指さず、無理のない形で既存の漆を生かす判断も文化財修理ならではの選択です。今回は塗りにヒビが入ったり下地の木材に破損があったりする箇所のみ古い漆を落として塗り直しを行う計画です。」

状態を見ながら落とされていく漆。下地の木材を修理したあと、残した箇所に合わせて厚みや色が調整され、修理をしていく

遠藤さん「漆に関しては、今回、材料の調達も大きな課題となっています。希少な国産漆は全国的に需要が集中していることもあり、十分な量を確保することが難しい状況でした。文化財としては、なるべく国産の材料を用いることが求められますが、最終仕上げには国産漆を用いながら、下地調整工程では外国産漆を併用するという判断が、関係機関との協議を経て決まりつつあるところです。性能を見極め、どこに何を使うかを整理することも、残していくための大切な作業です。」

漆を塗ったり瓦を葺いたり、具体的に修復が始まる第2期工事では、第1期工事で知り得た材の状況やこれまでの修復歴などが大切なデータとして活かされる。現場には、設計者によって書き込まれたメモが多く残されている

現代的な技術という面では、3Dスキャンによる記録や、解体調査による詳細なデータの蓄積も重要な取り組みです。今回の工事のためだけでなく、将来の修理や研究に活用される基盤となるべく、「情報として建物を残す」という視点も欠かせません。

工事開始前、内部の構造を確認するためスキャニングによって作られた三解脱門の内外部の様子

沼田さん「細かな部分でいえば、今回の覆屋は、なるべく地上で部材を組み上げてから吊り上げて組み立て、工程や日数を短縮しています。工期も費用もなるべく必要な箇所に回せるよう、日頃から高層ビルの建築などを手掛ける清水建設の技術を活かしている例かなと思います。」

【人】から見る修理の現場

工程ごとに必要な知識も人材も異なる修理現場。各専門業者の橋渡しをし、コミュニケーションを取ることも、文化財の価値を守る上でとても大切な作業です。

それぞれの立場から必要な情報や視点を持ち寄る。担当者間で「初めまして」が多い現場で信頼関係を築くこともスキルのうちだ

沼田さん「現場の職人は全国各地から集まっていて、経験値や技術力を加味して適材適所にコーディネートしています。特に漆など特定の素材を扱う専門領域は、各地を渡り歩いている職人さんが多いですね。技術や素材は日々進歩していますが、人の繋がりや関係性によって建物が造られ、守られているという構造自体は江戸時代から変わらないのかもしれません。」

現場で作業にあたる職人たち。脈々と受け継がれる技も人の想いも、文化財を残すために欠かせない要素だ

次世代へ繋ぐ想いと技術、残されていくまちの景色

原さん「今回は総合的な文化財工事の様相で、信頼できる皆さんと布陣を組むことができ、とても心強く思っています。私たちが大切にしたい『使い続けること』で残っていく文化財の価値を、お寺さんにもきちんと理解いただいた上で、沼田さんや遠藤さんが現場で形にしてくれている。当たり前のように景色の中にある文化財は、こうしたたくさんの人の力や知恵が集まって残されているのだということに、改めて目を向けるきっかけになれば嬉しいです。」

沼田さん「現場では若手の育成にも力を入れていて、楼上の仏像を運び出す時には、原さんたち東京都 教育庁からも若手職員の方にお手伝いに来ていただきましたよね。建物や歴史、文化が好きで、興味を持って来てくれることは、現場の私たちもとても嬉しいです。お互いに気をつけていることや感じていること、それぞれの視点での見方を学べるのも新鮮でした。」

2032年の完了を目指して進行するプロジェクト。長いようにも感じられますが、寺や建物の歴史の中で見れば、「ほんの一瞬の貴重な機会」という捉え方もできるかもしれません。完成を楽しみに待ちながら、変化と更新を繰り返す都市のなかにあり続ける文化財と、それを守り残す多くの人に、改めて想いを馳せてみてはいかがでしょう。

関連記事

この記事をシェアする

  • x
  • line

コラム一覧 江戸
かわらばん

一覧を見る
“EDO” Wonder Trip
えどわんだーとりっぷ